感情論とみなされるやりきれなさ

2021/09/24

あるミーティングに出ていて

グサッときたと同時に、重なった。

 

指摘や不満を散々向けられたので

もう言う!と思った。

黙って一人やってきたこと。ほぼ寝ないで。

言い出したら山ほどあるので、抑えたつもりが

返ってきた第一声は

「感情的な話ではなく」だった。

言うなれば、感情論は横に置いて本題に戻りましょう。

 

感情的な話???

感情は高ぶっても、内容は実質的な話だ!

 

私、このとき戦慄が走った。

あーーー、こういう運びなんだろう。

 

昼間、一人のお母さんから聴いたこと

ひどい話だと思ったが、

いま似たような感覚を感じている、と。

 

お子さんが校内で倒れ、のちに亡くなるが

そのときの状況を、詳細に教えてもらえない。

知るために交渉するも、受け入れられず

感情的になってしまった、とお聴きした。

 

親が子どもの身に起きたことを知るのは、当然で、

噛み合わなければ、感情的になるのも当然だろう。

けれども、遺族は、感情的になると不利なのだ。

これは、どんな場合も、そう。

あゆみのときも、そうだった・・・

 

亡くなった子どものことで交渉しなければならないとき

感情を切り離すことは、とても難しい。

たとえ高ぶっていても

話の本筋として、実質的で実際的な話なのだ。

 

感情だけ振りかざしに、出て行ったりしない。

つらい、かなしい、恋しい感情は

家にこもって、うめくほうが、よっぽどいい。