グリーフ卒業のめやすは「語る力」

2021/10/02

きょうは、午前から夕方まで、ずっと講義を受けていた。

心療内科医の解説の中で

やっぱり!と思ったことがある。

 

グリーフは病気ではないが、医師の助けがあるほうが良い人も

なかにはいて、その医師も、治療の終わりを「卒業」

と表現していた。遺族会でも同じ表現をする。

病気ではないから、治癒とは言わず

元に戻るわけではないので(亡くなった人は戻らないから)

グリーフケアの領域では、回復という表現もあまりしない。

 

それで、その先生が考える卒業の見極めは

「語る力」があること、とのこと。

まったく、そうだと私も思った。

 

一般的な病気のように、

血液検査の数値が下がったり、画像診断で影が消えたり

といった見極めができるものではない。

 

遺族会でも「語る力」を見ている面は同様。

まだ語れない人に、語らせるようなことはしないし

語ろうとしている人を遮ることもしないし

語られたことを否定することは、絶対にしない。

 

ほとんどの親は、

元気だった頃の子どものことは語れるし、語りたい。

どんな子なのか、ありありと、生き生きと。

 

けれども

何が起きて、どのように亡くなったか、そのことは

語りたくない人もいるし、語れない人もいる。

だから無理に引き出すようなことを、

心療内科でもしないし、遺族会でもしない。

 

そういう傷ついた傷つきやすい心に

さらに傷をつけてしまうかもしれないことは

しないのだけれど、でも、ほとんどの親が

子どもの身に起きたことから目を反らさないでいたい。

と真剣に考えていることも事実。

 

じゃあ、どうすればいいか・・・

 

待とうと思う。