いま自分は何を願っているのだろう

2021/12/12

(姑の三回忌のつづき)

お坊さんの講話は、大抵、

子どもを亡くした人の話をしてくださる。

今回は、作家の高史明氏と奥様のことだった。

私は、この先生に講演依頼をしたことがあるが

そのときは、あまり息子さんのことは話されなかった。

 

高氏は、12才の一人息子さんを自死で亡くしておられる。

お坊さんが宗教者たちで高氏に講演を依頼したとき

息子さんを亡くされた心情を、詳細に話されたらしい。

 

奥様は高校の先生で、通勤で電車を待つとき

プラットホームの奥のほうに立ち、

ベンチの端を握っていたという。

線路に吸い込まれないように。

息子さんのそばに行きたい気持ちが

いつも込み上げていたからだ。

 

そして高氏の考えは、

あまりにも崇高で

私にはほとんど理解できていない。

 

息子が、せめてあの世で救われてほしい、と願う

その願いは、この世のすべての人が救われたときに

息子のたましいも救われる。

だから、すべての人が救われることを願う。

阿弥陀様が「すべての人を救う」という心と同じ。

 

という話の意味が、広すぎて、深すぎて、

私の心からは、ほど遠い。

そんな私は、今何を願っているのだろう・・・

あゆみが、あの世で救われてほしい、とは

あまり考えたことがなかった気がする。

 

長い間、ただただ戻ってきてほしいと、願い

その次には

姿は見えなくても、近くにいてほしいと、願い

そのうちに

願うことに疲れてしまった感じ。