かなしくて楽しくて泣いたり笑ったり

2021/12/16

わかちあいの「つどい」に行きたいけれど

つらくなるのが不安、というお知らせもいただいた。

 

話せない人に、話されるようなことは、しないので

黙ったままでも「つどい」には参加できる。

けれども、これまで20年以上やってきて

黙ったままだった人は、いない。

 

ほかの人が、その人の子どものことを言うのを聴いて

つい?

思わず?

気がついたら?

自分も子どものことを話している

というのが自然な流れのような気がする。

 

そして「つどい」では

必ず涙する人がいるのも、ごく自然。

さらに、必ず笑いが生じるのも、ごく自然。

 

泣く、と笑う、は対極にあるようで

実は隣り合わせにある。

一体、と言ってもいいかもしれない。

子どもだから。

 

子どもが、いなくなったことは

ものすごくつらく

その子を語ると、泣けてくる。

けれども、その子はとても可愛いし

面白いこと、いっぱいしている。

だから笑みがこぼれ、笑いも起きたりする。

 

泣いたり、笑ったり、泣いたり、笑ったり、、、

この部屋の人たちは、一体何をしているのだろう?

と、もし部屋をのぞく人がいたら

不思議だろうし、理解できないだろう。

だから当事者以外、立ち入らないようにして行う。

 

子どもを亡くした親であること、だけを

慎重に確認し、あとは、それ以上のことを

私は尋ねたことがない。

なぜ、どのように亡くなったか、というようなこと。

 

でも、

その子が、どういう子で

どんなに可愛く、どんなに面白いか

といったことは、いくらでも話してくれるので

やっぱり「つどい」は楽しい。

 

かなしい話を上回る楽しい話が

次々、いっぱい出てくるフシギな時間。