全員が親である人
2021/12/15昨日書いた、同じ立場の人と語らって
つらくなる理由として
「自己嫌悪」という言葉で知らせてくれた人がいる。
もともと、子どもを亡くしたほとんどの親に
「自責」がある。
当然、自信喪失も現れたりする。
そんなところに、
つらくても頑張っている人の姿を目の当たりにすると
自身と比べ、いろんな感情が生まれるかもしれない。
ただ、「わかちあい」には、
評価をしない、という原則がある。
遺族会に限ったことでなく、当事者活動すべてに共通して。
頑張っている人を、「えらいですねー」
と称えることなども、厳密には「評価」になるだろう。
運営者は、自分を含む参加者全員が
対等である
ということを常に意識しなければならない。
私自身も、人を評価する立場ではない。
考えてみれば、
本当に、そうだなあ、と思う。
確かに、できること、できないことの個人差はあるが
全員が、子どもを亡くした一人
であることに、何も違いがなく、差もない。
さらに、私がいつも思うのが
子どもの親である人、ということ。
親だった人、ではなく、親。
「亡くなった」は過去形で言うが
「親だった」という言い方はないし
概念もない。
この誇りを一番大事に
胸を張って生きてほしいなあ
と、毎日願っている。