執念深くてもいいと思った
2021/12/18お子さん亡くされたお母さんの話から
あっ、と気づいたことがある。
その方は、悲しみのさなかにある時に、
知人から、言われた言葉が嫌だった。
そういうことを言う、その人のことも嫌になった。
今も、気持ちは変わらないので
ご自身が執念深いように思えてきて
そのことも嫌になってくる。
あるある二重に嫌になること。
なんで嫌なことされたこっちが
自分を責めたりしないといけないの?
ほんと災難だ~
とか話していて、ふと思う。
私は、ある言葉が、嫌で
それを言う人が嫌に思える。
「聴いてあげるから」という言葉。
当事者の中でも、
「聴いてあげる」と言ってもらえたのが
一番有り難かった、と言う人たちはいて
私は、ひねくれてるんか?と思ったりしたが
その感情の出所、思い出した!
何かと干渉してきては、感謝されるのが大好きな
近所の奥さんが、
あゆみが亡くなったとき「聴いてあげるから」と
活躍の場を見つけたかのように近づいてきたので
いや~な気持ちになったのだ。
だから私が嫌なのは
あの人の、あの個性と行動のありかたで
その後に出会う人たちは、別人なのに
言葉だけが脳裏に残り
いや~だった場面と、無意識に結び付けて
いま起きていることを「いや~」に思ってしまっていた。
いま起きていることは、別のことで
嫌な人と思う必要はないし、
決めつけるのは、おかしい。
なので、執念深いと思って、悩んでいる人は
考えようによっては、感情の出所が明確で
別の人と結び付けたりしないぶん
いいんじゃないか?と思う。
子どもを亡くしたあとには
いろいろなかたちで嫌なことに直面する。
そういうことを
気にしない、というのも
上手な生き方なのかもしれないが
覚えておく、というのも
役に立つ生き方だ、と思った。
私みたいに
半分忘れて半分覚えている、中途半端が
一番ややこしい。