「事実」は不動だが「真実」は変化する

2022/02/15

「事実」は1つだが「真実」は人の数だけある

について、もう1つ思うのは

「事実」は唯一無二で、不動だが、

「真実」は変化もする。

しかも「一人」の人の中でも変化する。

 

例えば、

あゆみは、急性脳症という病気で亡くなった。

これが事実。

でも私にとっての真実は、

あの日、私があゆみの傍にいたら

急性脳症は発症しても、手の打ちようがあったはずだ。

だから死に至った原因は、

一人で寝かせてしまった、私の不注意だ

ということになる。

 

さらに時間を経て考える。

同じ年齢で、同じ病気で、同じように重症化して、

それでも命が助かっている子がいる。

何でその子は助かり、あゆみは亡くなったのか?

 

わからないことが多すぎる。

 

そもそも、病気になる原因も、よくわからない。

よくわからないことの中に閉じ込められると

もがきながら

私にバチが当たったんだ、みたいな

非科学的な「真実」さえ生み出したりする。

 

だって、子どもは、どの子も

何も悪いことをしていない。

だから命を取られるいわれがない。

 

私の場合で考えてみたが

私以外の人とも、こうした発想は共通するだろうし

病死に限らず、事故でも、災害でも、死因を問わず

遺族の多くに共通する捉え方だと思う。

 

ただ、「真実」は変化するので

自らを追い込むような、苦しい解釈は、

一時的なことだろう。

でも、そこを必ずのように通るのが

子どもの親なのだ。