「亡くなった人がくれたものを見て」いく

2022/03/21

昨日は憑依された側の家族のことを書いた。

一方の、憑依した側の家族には、

こんな対話があった。

 

最愛の妻が、もういよいよ成仏しなければ

ならない時を迎えて、夫が娘に言う。

「ママがいなくても

二人で一緒に生きていく道を

探さなきゃいけなかったんだ。

ママは、どうして会いに来てくれたんだろ。

小学生になってまで。」

 

このとき私は思った。

確かに

小学生になって「まで」という

強調の問いに、心動かされる。

けれども反発のような感情も持ち上がる。

 

ここから、前向きな姿へと急展開し

ぐいぐい引っ張っていくんだ、ドラマって。

で、実体験のある視聴者は

違和感に耐え

なかなかそうはいかない現実にため息をつき

置き去りにされていくんだ。きっと。

 

でも、違った。

「夫」の次の言葉に私は引き込まれていく。

 

「せっかくこんな奇跡が起きたのに

(小学生になってまで現れてくれたのに)

ママがしてくれたこと

ママが言ってくれたことを

無駄にしたくない。」

 

そうだなあと思う。ただ、

奇跡(憑依)が起きた人だから言えること、

だろうか?とも思う。

私はそういう奇跡を経験していない・・・

 

でも、そんな私でも、

次の言葉には同意できた。

「だからこれからは

なくしたものではなく

ママがくれたものを見ていかないか」

 

つづく

(まだまだ考えて明日も書くよ)