やっぱり会えるならもう一度会いたい

2022/03/26

ドラマ「妻、小学生になる」が、最終回を迎えた。

前回、お別れを告げて姿を消した妻が

もう1回だけ、夫と娘に会いに来てくれた。

 

思う存分、楽しい1日を過ごし

本当の最後の別れのとき

残される家族は「ありがとう」を言った。

これは想像通り。

 

旅立つ妻の言葉は

想像がつかなかったが

「おやすみ」だった。

そうして意識をなくす。

 

永眠というのだから

「おやすみ」がふさわしいようにも思ったが

実際、どうなんだろう。

 

私が出会う遺族たちのほとんどが

亡くなった人(子ども)の活躍を教えてくれる。

親が、悩んだり、迷ったりしたとき

声に出して指示してくれたり(犬を飼うといいとか)

電池が切れて、止まったままのおもちゃを

動かして見せてくれたり、、、

どうも、眠っているとは思えない。

 

千の風になって、という歌があったが

「ここ(お墓)に私はいません

眠ってなんかいません」という歌詞だった。

 

時には、風になって、知らせてくれるのかな?

北海道では、ものすごい風に吹かれたが

もしかして

鈍感すぎる私には

あれくらい吹きつけないと

「いるよ」って知らせられないのかな・・・

だったら

確かに「いた」ね。

 

「妻、小学生になる」を見ながら

2度も別れがあるなら

2度目は耐えられないかもしれないから

再会には躊躇したが ←予定もないのに~

やっぱり、もう一度会えるなら、会いたい。

 

別れはつらいけれど

あの時の、あの別れを経験した者には

どんなことも、

耐えられないことは、ないのではないか?

という気がする。