亡くなって何年も経ってから急降下していった

2022/08/01

インタビューを受けた日記を、7/13日にも書いたが

引き続き、3回目のインタビューを受けた。

 

私は、あゆみのこと、自分のことは、

何でも公表しているし、言い尽くしてきた

と思っていたが

インタビューというのは、素直な気持ちで受けると

未だに、あまりよく知らない自分と出会う。

 

あゆみを亡くしてから、改めて、もう一度

ズドーンと落ち込んでしまったときのこと。

 

「小さないのち」を作った当初は

同じ病気で亡くなった人に、次々会いに行って、

どのように、この病気は起きたか?

そのとき、医療体制や病院での対応はどうだったか?

詳細な情報を集めていた。

 

のちに厚労省の研究班に入り、

私は親たちの証言や意見を届け

お医者さんたちは研究に取り組み

治療法が解明されていって

研究班は一定の成果を出して、閉じられた。

 

そのとき、ものすごい勢いで

私は落ちて行った。

今ならあゆみは死ななかっただろう

と思えたから。

 

自分は、何を必死でしようとしたんだろう・・・

今後、日本の子どもたちが死なないように、

みたいな美談のためではない。

わが子を、どうすれば助けられたのか!

それに尽きた。

 

ところが、方法がわかったとき

肝心の、わが子がいない。

 

やっと気づいた、目が覚めた

みたいな、おかしな現象に陥ったのだった。

 

このときのことを、言葉にして話したことは

初めてだったなあ。

涙でどうしようもなくなった。

どうしようもなくなるほど泣けることが

まだ私には、あった。

 

きょうは、医療裁判をして、何年も奔走して

負けたお母さんの話を聴いて

取り組んだことは違っていても

終わったときに行き着く境地が

似ている気がした。

 

ふと思った。

勝った人は、どうなんだろう・・・

勝ったら子どもが戻ってくるのなら

いいだろな。

 

裁判で勝っても、亡くなった子は戻ってこない。

 

なんで頑張れるんだろう・・・

この人たちのほうが

社会的な目的で闘うのかもしれない

と思えた。