子どもは絶対的な味方なのだと思えるとき

2022/08/14

亡くなった子どもの、声は聞こえないものの

通じ合っているように言われる親御さんは、多くいて

まだ日の浅かった頃の私は、

すごいなあ、と感心したり

いいなあ、と羨ましかったりした。

 

で私自身は、鈍感なのだけど

よそのお子さんが、親に教えようとしたことや

よその親御さんが、うまく受け取れていることを

参考にするようになった。

 

お子さんからの方法としては

不思議な現象を通して存在を伝えている場合もあれば

目に見えて何も起きていないのだけれど

親のほうで、ピンとくる、という場合もあり

後者のほうは、ちょっと高度。

 

例えば、自分には珍しいような機転の利き方とか

問題解決のための発想が持ち上がり

「私一人の知恵や能力ではないのを感じた」

と言われたりするのだ。

 

そういうとき、私も、〇〇ちゃんだよね!

と言っていたり

子どもは、絶対的な味方で、一番の理解者なんだ

と教えられたり

きっと、あゆみも同じように見てくれている

と信じる気になったりする。

 

つまり、亡くなった子どものことは

自分で感じたり考えたりするのが良いけれど

鈍い私にとっては

同じ立場の方に教えていただく体験談が、

もっとも信ぴょう性があり、信頼性もあり

ずいぶん支えられてきた。

 

よく当事者が言う

「先に子どもたちが天国で出会って、相談して

私たち親を引き合わせてくれているのかも」

という言葉が、本当に思えることがある。

私は鈍感だから、敏感なお母さんと出会えたとき。

 

こういう活動は、

同じ気持ち、同じ考えの人と出会えたとき

ものすごく嬉しい。さらに

自分と違うタイプの人と出会えたとき

自分にないものを補えたり

自分には見えなかったところに視野が広がったりして

ものすごく有り難い。