周囲の言葉や押しつけの結果なのかも

2022/09/27

昨日書いたことの、少し疑問としてあること。

奥さんを亡くされた高齢の旦那さんが

かつてお子さんを亡くしていたら、改めて

「妻はつらかったと思う」と呟くなかに

奥さんへのいたわりの深さを感じる。のだけど

子ども死が、あたかも

奥さんの身に起きたことのようだなあ

と思うことがあるのだ。

 

子を亡くした母親は、ものすごくつらい。

子を亡くした父親も、ものすごくつらい。

にもかかわらず

年月とともに、

妻の身に起きたことのように言うのは

なぜなんだろう?

 

おそらく、

そう仕向けられていった、と考えられる。

誰から?

周囲から。

 

もともと男性は、

男の子でしょ ~ 男だから

といった概念が、一般的に根強く

現在も生息しているかもしれない。

 

で、子どもが亡くなると、母親は、

概ね誰からも、全肯定される。

この肯定に護られて過ごすことができる。

 

ところが父親は

知人からも、親族からも、職場でも

かけられる言葉のあとに、必ずくっつく

「奥さんを大事に」

「君がしっかりしないと」

 

思いやりの衣をまとった押しつけを

父親は一身に浴び

自分にもそう言い聞かせ

「妻はつらかったと思う」

という言葉に繋がっていくのではないだろうか

と私は推察するのだけれど

妻はどうだったのだろう・・・

 

護ってくれて、ありがとう

と思っていた人はいたと思う。が、

同じ気持ちでいたい

と思い続けた人もいたように思える。

 

周囲からの言葉ではなく、自分たちが

互いに言葉にしてみる機会

大事なんだろうな。

そもそも夫婦には

言葉にしなければ、分かり合えない

余白のようなところが、

かなりあるような気がする。