自ら深める子どもの「自責感」は独特

2022/10/06

きょうだいを亡くした子どもの、自責について考えている。

親が自責するように、子どもも自責し、

ところが、大人と同様ではないところが難しい。

 

親がよく、自分のせい、と言うが

大人である親は、直接の原因は、病気と理解し

そのうえで、自身の行動などは、遠因と認識している。

 

ところが、子どもの場合

直接の原因が、自分、になってしまうことがある。

この仕組みが難しく、いろいろ考える中

あのことを思い出した。

 

小学4年生のとき、

担任の先生に赤ちゃんが生まれ、

私は、見に行きたい!と言ったが、

親から止められ、学年が終わったとき、行けた。

親からお金をもらって、手土産を買ったことも嬉しく、

同級生と二人で、電車に乗り、先生の家に行った。

 

少し大きくなっている赤ちゃんに、

やっと会えて嬉しかったし、

先生が、学校にいる時よりも、お母さんのようで

心地よい数時間を、満喫して帰った。

 

帰りは、ご主人が車で送ってくれた。

このとき、私の大きな「自責」が起きた。

走っている車を、警察官が、いきなり止めた。

私は、とっさに、「誘拐されていません!」

と言わなければならないのではないか?と考えたが

体が固まって、声が出なかった。

 

先生のご主人は、警官としばらく話して

何もなかったように送り届けてくれたが

あのあと、逮捕されたのではないか、と思い

私は気がきでなかった。

 

一緒に行った同級生に、

「どうしよう・・・」と相談したら

「え?なにが?」という反応だった。

 

次の日、学校で、(すでに担任をはずれている)先生に

謝りに行った。

先生は、逆に、「こわい思いをさせたわね」と謝られ

私は、さらに自責を強めた。

警官に何を叱られたのか、言われなかったし

私は、黙ったまま、何の役にも立たなかったし

そもそも

私たちを送らなければ、ご主人はあんな目に遭わなかった。

 

いま思えば、あれは

一時停止義務違反だったのかもしれない。

 

振り返って、いくつか思うことがある。

同じことに直面しても、

子どもの個性も、自責感も、それぞれであること。

 

自責を強めるタイプの子どもには

原因や理由を、子どもにもわかるように

知らせたほうがいいと思えること。

 

でも、すべては

大人の大きな思いやりのなかで

勝手に生じさせていたこと。