どんなに回復を願った親がいたか伝わる

2022/11/03

「いのち」をテーマとする小中学生の作文を

今年もたくさん読んで審査している。

こういうテーマでは、

自身や家族が、重病に直面したときのことを

題材とする作品が多く含まれる。

 

さまざまな疾患が描かれているなかで

あゆみと同じ病気になり、生死をさまよい、

回復して今がある、というお子さんと出会う。

出会うといっても作文を通してだが、

ものすごく心が揺さぶられる。

 

その揺さぶりが、点数に影響しないよう気をつけながら

よかったねー、とまず思う。

素直にそう思えるのは、

作文に書こう、と思うことが、すでに

生きて存在していることに、喜びを抱いていることに

他ならないから。

 

さらに

深刻な病気を、本人が記述するには

そのときのことを、親から詳細に聞いているからで、

どんなに回復を願い

どんなに回復を喜んだか

ほとんどは、両親の感情であるようにも受け取れる。

 

以前、私が入院中、隣の患者さんが、

お孫さんが小さい頃に、重病になったことを

本人に知らせないよう注意を払って育てている

と聞いたとき、

それぞれの家庭の価値観だ、とは思った。

 

知らせる弊害については、私はよくわからない。

子ども自身が、実体験を書いた作文を読む限りにおいては

病気を、マイナス体験と捉えていないこと

支えてくれたあらゆる人に、感謝が厚いこと

自分の命を、とても大事に考えていること

などが感じられ

事実を知らせている親御さんにも敬意を抱く。

 

その一人が、

私だったらよかった・・・

あゆみだったら・・・

なんて、いまだに、ふと思ったりしてしまう。