海洋散骨できるといいと思う実家事情

2022/12/30

25日の日記に、水に溶ける紙のことを書き、

海洋散骨に触れたが、

あのあと、海に散骨する人は、どういう人なのか

と考えた。

 

散骨する人が、どういう人か?よりも、

亡くなった人が、どういう人か?だ。

思いつくのは、2つ。

 

海が好きだった人、

サーファーとか、マリンスポーツをしていたとか。

もしくは、海にゆかりのあった人、

漁師とか、船乗りとか。

 

もう1つの発想は、自然葬を好む人。

いろいろあるようだが、

完全に自然に戻っていけるのが

海への散骨なのだそう。

 

よく、亡くなった子とは、自分が死ぬときに

一緒にお墓に入る、と考えている人が多いが、

私は、あゆみを納骨してしまったので、

自分のことだけは、考えないと。

散骨してもらおうかなあ。

 

そしたら、

海洋散骨の目的は、

別のところにもあることを知った。

墓じまい。

 

なるほど。

撒いて、遺骨が残らなければ、

お墓をもたなくていいわけだ。

 

急に現実に引き戻された。

家に置いたままになっている、両親を、どうするか。

実家にお墓は、あるが、

収めずにいるのには、理由があって、

墓じまいを考えているから。

でも、なかなか、踏ん切りがつかない。

 

実家の墓を、しまい、

両親は大きなお寺へ、とイメージしているが、

散骨はどうだろう・・・?

 

海が好きだった、というわけでも

ゆかりがあった、というのでもなく、

理由がこうだと、不謹慎かなあ・・・

でも、後継ぎがいない実家を

どうするかは、深刻な問題で。

 

ただ、

自分でも不自然に思うときがあるのが、

愛しくてたまらない娘を、早くに納骨し、

年老いて亡くなった両親の遺骨と

いつまでも一緒に暮らしてるんだよなあ。