法話ではない長い話を聴くお通夜だった

2023/01/09

ダンナの後輩が亡くなった、という知らせが入り

えっ、なんで?なんで?

と、わけがわからず、私も親しくしていたので

お通夜に行かせていただいた。

 

お子さんはなく、

憔悴しきった奥さんが、ぽつんと最前列に。

 

ほどなく、お坊さんご入場。

ガッシャン、ガッシャン、音がするので、振り返ると、

お坊さんの両手には、

まるで前足のような杖。

 

山歩きに使うトレッキングステッキを、かなり長くして、

先が4つに分かれたものに

寄っかかって歩いているから、

右に傾き、左に傾き、とても危ない。

 

こんなお体で、よく来てくださったなあ

と、そのときは胸を打たれた。

 

お経が始まり、焼香が終わり、

次は御法話、と思いきや、

「私の足ですけどね」と、まず自己紹介のよう。

なんの病気なのか、足を切断すると宣告されたが

どうにか切断は免れた、という話。

 

ああ、病気の話から入って、故人の死因にも触れる

という流れなのかな?と思った。

 

けれども、次は補装具の話。

「平気な顔してスタスタ歩いているように見えるでしょうが」

とおっしゃるが、

誰一人として、

平気な顔して、スタスタ、と思わない。

危なくて、見てられないし、

後ろから何人も、手を貸そうか、どうしようか、と

おろおろ、うろうろ、ついて行っていることを

気付いておられないようだ。

 

鈍感って、大事だと思った。

不自由であるか、危なげであるか、

傍目にどう映ろうが、

本人が苦にしなければ、不幸にはならない。

 

そういう法話では、まったくなかったのだけど

私はこのことを学んだ。

 

実際のお話しは、法話には程遠く、

足を切断されそうになったけど、免れ、

その次は、脳梗塞で倒れて、

何で自分ばっかり、と不条理感に苛まれ

酒でも飲まずには、やってられなくて、

もう開き直って、好きにやってます。

補装具があるから、普通の生活ができてます。

 

といった、嘆きと、愚痴からの

受容というより開き直りの、身の上話。

たぶん、きょうも、すでに飲んでおられる。

 

結局、故人の話は皆無で、

亡くなった経緯は、ほとんどわからなかった・・・

 

ところで、

なんで、あのお坊さんを頼んだのか?

多くの家庭では、お寺との繋がりがなく

お葬式をするにあたり、あっ旋のように頼むらしい。

 

で、かかる費用も、そのとき知る。

奥さん、金額に驚き、

がんばって値切ったらしい。30万円に。

 

いくらが相場なのか、知らないが

お経は本物だとしても

大半の時間を愚痴で費やしても、30万。

 

誰も何も言わないし、

クレームがない職種の1つかもしれない

なんて思った。

うちのお坊さんと、ぜんぜん違った。