毎日考えることも言うことも変わっていい
2023/01/28きょうは、一日中研修だった。
午後は、ナラティブ・アプローチについて。
グリーフケアの大きな柱として
ナラティブ・アプローチがある。
ナラティブとは、語り、語る行為、物語を意味する。
心のケアにおいては、
遺族に限らず、当事者(本人)の語りで
一番大事なのは、真実、だと言われている。
そして真実は、人の数だけある。
「事実」が1つであるのに対し、
その人は、どう感じたか?どう捉えたか?
は、それぞれだから。
で、きょう、はっとしたことがある。
「ナラティブが唯一の真実を著わしているわけではない」
という解説。
本人の語り(ナラティブ)が唯一の真実
と、つい思いこみがちだが、
そうではない。でなければ、
語られたことが決定づけられると
「どうしようもなくなる」←先生の言葉
まったく、そうだ。
どうしようもない人が、どうしようもなくなる・・・
いま語ったことは、いまは真実。紛れもなく。
だけど、
明日はまた、別の受け取り方になっていていいし、
明後日も、変わって構わない。
「物語は一つではない」
真実は人の数だけある、だけでなく、
真実は、語られるごとに生み出される。
だから人間は変化していける。
回復の余地を保有し続けている。
この解説のなかで
宇多田ヒカルの「花束を君に」の歌詞に
「どんなに言葉並べても 真実にはならないから」
とあること、教えてもらった。
知っている歌なのに、軽く聞き流していたなあ。