本来、激しく悲嘆するような体験だったはず

2023/01/29

昨日は、漫画を題材にして考える時間もあった。

コウノドリという漫画

私は読んだことがなかったが

こんな場面がある。

 

子どもがほしい夫婦、奥さんが流産する。

(何度目か、のよう)

そのとき旦那さんが奥さんにかける言葉。

「流産がつらいんじゃなくて、お前を見ていること、

何もできないことがつらい」

 

この場面について、考え、

回答を出し合う時間は設けられなかったので、

他の人が、どう考えたかは不明だが、

私は、わが身と重ねていった。

 

このやりとりは産科特有だな。

わが子の死に違いないが、妻の胎内で起きていることで

夫は、まだ父親になりきれていない。

生まれて育てた子であれば、父親は

母親と同じように嘆き苦しむから。

 

このことを、妻は、どう感じるだろう。

 

私のことを、そこまで思ってくれて

ありがとう、と思うだろうか?

そういう人もいるかもしれない。

一方で、まず「この子」を思ってほしい

と感じる人もいるかもしれない。

 

私なら、どっちだろう・・・

そう考えて、ここで、愕然とした。

私にも同じ経験があるのに

わからないのだ。

 

流産のため、入院して手術を受けた。

悲しかった。

つらかった。

でも、

先に経験しているあゆみの死が、あまりに大きくて

ほとんど感じることができていない。

 

本来、激しく悲嘆するような体験を

ほとんど感じることなく通っていった・・・

 

漫画の中の父親のこと

どうこう言える立場じゃない。