子どもの命を金額に照らし合わせるのはつらい

2023/02/28

聴覚に障害がある小学生の女の子が、

事故の被害で亡くなり、

健常者の85%の賠償金の支払いを

命じる判決が出た。

 

60%から85%に引き上げられたことで、

評価すべき点もあり、

ご両親の納得がいかない点もあり、

という難しい裁判だったと思う。

 

私のまったく主観的な予想だけれど

この女の子は、将来、

健聴の女性たちに劣ることなく

むしろ、それ以上の収入を得る立場に

なった気がする。

 

理由は2つで

早期教育に徹した母親の熱意、と

この子自身が、努力家であること。

 

育った環境や、本人の気質は

学力にも、あらゆる能力に影響を与え

障害の壁を超える成長を遂げることが

十分に想像つくのだけれど、

この女の子が、健聴者と同額の賠償を得たら

このあとの人全員、同額になる、

という意味で

100という数字が出せないのではないかなあ?

 

ご両親は、「すべての聴覚障害者のために」

とおっしゃっていたが、

本当にそれを願っているのかなあ?

私が思うのは、あくまで、

この女の子は、健聴者との能力差を感じない

ということ。

 

また、ご両親は、

「どんなに努力をしても、否定された」

とおっしゃっている。

そこだと思う。

努力して獲得してきた人と

努力せず劣っている人が、

同等というのは

ご両親が主張している「この子の努力」

が、薄まるような気がするのだ。

 

金額のほうを見たら、

3800万円の支払いに対し、

6100万円を求めているもので、

この裁判、別の意味でも、親はつらいと思う。

いずれの金額も

わが子には、まったく、ふさわしくない。

 

心臓移植を求めて、渡米するお子さんに

最近では5億円必要、とされ、

ちゃんと集まるのだから。

 

おそらく、もっと高額になったとしても

いくらであっても、必ず集まると思う。

その子を失いたくない、失ってはいけない

強い思いが、結集するから。