お嬢さんを亡くされたお父さんの涙のわけ

2023/05/02

先週、JR福知山線列車事故から18年を迎えたので

放送されていた特集番組を見た。

遺族の思いや考えは、さまざま、ということを

この事故からも感じる。

 

カーブを曲がり切れなかった暴走列車が

マンションに突っ込んでいった事故。

マンションは、一部壊れて、現存していたが

住人が立ち退きになってから

見るのがつらいから、すべて取り壊してほしい

と望むご遺族と、

形を変えずに、すべて保存してほしい

と望むご遺族に、意見は分かれた。

 

番組では、一人のお父さんが紹介されていたが

大学生のお嬢さんを、この事故で亡くされている。

お父さんは、マンションをそのまま残してほしい

と訴えているご遺族だった。

けれどもマンションは、事故の痕跡を残しつつ

大部分を取り壊して保存、とになったので

以後、現地に行っていない、とのこと。

 

そうなんだあ。

普段から、「見るとつらくなるから」

という遺族の言葉はよく聞く。

治療を受けた病院だったり、

よく通った場所だったり、

家にある物であっても、ビデオなど。

真逆の人もいて

思い出の場所には好んで行き、

ビデオも、毎日見る人もいる。

 

番組では、

冷静にお話しされていたお父さんが、

急に、うう、と嗚咽しそうになった話題が

私は意外な気がした。

 

事故後、娘さんの服や、かばんや、持ち物が

お父さんの手元に戻ってきたとき、

2冊、本が入っていた。

その本は、図書館で借りていたものだった。

だから返しに行かれた。

 

そしたら図書館の人が

「もらってください、って」

と話されたところで、

お父さん「あかん」と言って、込み上げた。

その理由が、私にはわかりにくかったのだ。

 

本は、お嬢さん愛用の物ではなく

たまたま、そのとき借りて持っていたもの。

貰って嬉しいほどの愛着はないだろう。

 

電車の中で読んでいたかもしれないから

お嬢さんが、最後に触れて、最後に目にしていた

という意味で大切なものなのだろうか。

 

もう1つ思ったのは、

公共の本でありながら、例外的に返却を求めず、

遺族にくれた、という

図書館の人の、情の厚さのようなものが

心に染みた、ということだろうか。

 

そうだったように思える。

役所や、公共の立場の人が、

決まりや制度から少し離れ(外れて)

一人の人として行動するとき

特別に扱われた感、

大切にされた感、をもつ気がするから。