子どもの本音を聞くには覚悟が必要
2024/02/28昨日のつづき。
もし、子どもの声を聞くことができる専門家
と出会うとして、
あの時「苦しくなかったそうですよ」
と私は言って貰いたくて、行くのであれば
意味ないんじゃないか?
と書いたが、さらに、
別の言葉を言われたとして、
それをあゆみの言葉と判断できるのだろうか・・?
「自信がないまま過ごしてきた」と
お子さん亡くされたお母さんと話した。
そしたら!
お母さん、さすがだー!
そこのお子さんは
病気の告知を最後までしなかったので、
治ると思っていたお子さん。
こういう状況は珍しいことではないが、
お子さん亡くなってから
「隠さず本当のことを言えば良かった」
と思う親、どれくらいいるだろうか・・
子どもの知る権利についても指摘されるが
親は親で、全身全霊で子どものことを考え、
最期まで貫き通すことがあったりする。
で、すべてが終わり
子どもは、今、どう思っているだろう
と気になったりは、する。
そこに、交信できる代理人が現れたとして。
その代理人が
「ママの事情もわかるよ、と言ってますよ」
とか言ったら、
「娘じゃな~い!って、わかる」
と、その母親言うから、私ビックリ。
つまり、
そういう物分かりのいい子もいるかもしれないが
「うちの子は、そういうタイプじゃない」
と断言する親、すごいし
親だから、だろう。
そういう意味では
この人は本物、この人は疑わしい、
ということを見抜く力を
親はそれぞれ持っているのだろうか。
だったら、
本物から本当のことを聞くには、
相当な覚悟が必要なわけだ。
子どものタイプによっては。
私も、本物に会おうと思えば
会えるような気がしてきた。
でも
足元ぐらついてきた。