子どもの無事を知ったとき親はブチ切れる

2024/04/25

きょう4月25日で、

多くの犠牲者を出した福知山線列車事故から

19年が過ぎた。

当時私は大阪市で暮らしていたが

事故は実家(今の自宅)の近くで起きて

そこはよく自転車で通っていた場所だった。

毎年、この日は事故のことを振り返る。

 

18才で亡くなった大学生の弟さんが

その後、看護学校に進学し、さらに

DMATという災害現場に派遣される看護師になっている。

お兄さんは、病院ではなく現場で亡くなった。

だから、

「危機に瀕した人のいるところへ行って助けたい」

という思いに突き動かされたそうだ。

 

すごい弟さんだなあ、と思い、

コメント欄に目をやると、

さまざまなコメントが寄せられていた。

多くは感銘を受けるもの。

そのなかに、こんな人がいた。

 

事故の日、1本前の電車に乗った人。

何かの事情で1本あとになることはあるだろう。

そしたら、

この人は、1両目に乗るのが日課だったので、

間違いなく重症を負っている。

死んでいたかもしれない。

 

事故のことは、学校に着いてから知った。

親からの着信は100件を超えていて

折り返しかけたら、ブチ切れられたという。

 

親御さん、どうブチ切れたんだろう・・・

想像はつく。

 

「なんで電話にでないの!」

「どんなに心配したと思ってるの!」

「生きた心地ちしなかったのよ!」

とあって、

「あーーーよかった」

と続いたのではないだろうか。

 

ほんと、助かってよかったね。

助けられて助かったのではなく

完全に運命を分けている。

大惨事になるか、無傷か、おお違い。

 

あゆみも、事故ではないが

病気を発症したあと、良くない方、良くない方に、

運命が分かれていったので

「あーーーよかった」と、

心から安堵する親の境地を、私は知らない。

 

前述の、事故を免れた乗客は、

あれ以降、電車は先頭に乗らないようにし、

5両目以降に乗るそうだ。

実際は事故に遭わなかった人でも

身近に迫った怖さは、残り続けているのだなあ。