「家族のやりたかったことをしてあげる」

2025/01/02

昨年の元旦に起きた能登半島地震から1年。

この地震で、奥さんとお子さん3人を

いっぺんに亡くした男性がおられる。

 

奥さんは38才、

お子さんは、11才と、9才と、3才。

奥さんの実家に帰省中のことだった。

 

5人家族だったのに、独りぼっちになるとは

それも一瞬にして。想像も及ばない。

この方は、1年間この場を訪ねていないらしい。

土砂が崩れてきたときの様子が頭に残っていて。

行くと苦しいが、たとえ行かなくても、

毎日が苦しかったことだろう。

 

遺族の心の動きは、人それぞれで、

私も、思い出の場所などに行けないタイプ。

思い出は大事にしたいのに、行けない・・

 

訪れることで少し落ち着く方もおられ、

一昨日に書いた、高野山を訪ねるご家族は

思い出の地ではなく、亡き子を感じる地を見つけ

訪ねて行かれていた。

 

1年ぶりに能登を訪れた男性、

「ただいま。ありがとう、ごめんね」

と亡くなったご家族に話しかけたそう。

ああ、「ありがとう」が先なんだね、

そして、やっぱり、「ごめんね」。

お父さんのせいじゃないのに。

 

「残りの人生、家族の分まで、

家族のやりたかったことをしてあげて、

一日、一日、無駄にせず生きていけたら」

と話されている。

 

「家族のやりたかったことをしてあげる」

という言葉、初めて聞いたかもしれない。

亡くなった人は、もう何も食べられないのに、

自分だけ美味しいものを食べるなんて、など

自分だけいい目をすることを避けたい心情を

聞く機会のほうが多いが

「してあげる」の気持ちなんだ。

 

自然とそう思えることは、いい。

亡くなった人が、生きている人に

苦しんでほしいなど思うわけがない、と

頭ではわかるのだけど、

なかなかそう切り替わらないのは

残され生きている人間のほうだなあ。