通常は本人にとって「いい過ごし方」を考える

2025/03/18

昨日書いた、死刑囚が起こした裁判のこと

理解できるような、理解できないような、、、

なので、一般的な死について考えてみた。

 

裁判を起こした死刑囚は

執行する日に執行を知らされることに

異論を呈しているが

早めに知って、何をするのか、したいのか

については明らかにされていなかった。

 

一般的に考えると

片付けておきたい仕事がある、とか

行っておきたいところがある、とか

会っておきたい人がいる、などがあり

だから、がんの余命なども

隠さず教えてほしい、という考えを

もつ患者は少なくない。

 

反対に、

知るのは怖いから

そういうことは知らないほうがいい

と考える人もいるだろう。

 

家族は、ただただ、ひたすら、

本人にとって、どっちがいいのか

悩むだろう。そして、

本人にとって、いい過ごし方を

選びたいと考えるに違いない。

 

死刑囚も、同じ人間だけれど

「いい過ごし方」は

世間的には認められない気がする。

 

よく、被害者遺族が、犯人に

「極刑を強く望みます」

と言っている姿が報道されるが

極刑とは、通常は死刑を指すが

最も重い刑罰という意味。

 

刑罰をもっとも重く与える意味において

いい過ごし方、とか

自由、など

本来ないのではないだろうか。

 

じゃあ、生きている人間なのに

人権はないのか?

という疑問が浮かび上がるが、

そのあたりを考えるなら

死刑という制度じたいを廃止するしかない気がする。

 

そうしたら、治安はどうなる?

そっちの心配が出てくる。