いくら可愛くても限界を迎えるとき
2025/07/15自力で呼吸ができない子どもの呼吸器を
母親が外してしまう事件が起きた。
7才だったということから
お母さん、これまでずっと家で
この子のお世話をしてきた姿が
目に浮かぶようだった。
それでも、外してしまった・・・
きっかけとなったのは、
父親のちょっとした冷たい態度だった、
というから
胸が痛むと同時に、脱力した。
そのお父さん、のちに出た記事で、
「娘は宝だった」という見出し。
矛盾している!と思ったが、
読み進めると、
「妻と私にとって」と話されており
母親の献身的な介護を証言している。
じゃあ何故あのような衝動的なことを・・
わからない。
本当のところは、ご本人でなければ。
ご本人だってわからないかもしれない。
「私がどんなに苦しんでも
娘は戻ってきません。後悔しています」
と苦しんでいるから。
重度障害のお子さんのお世話は、
何年やってきても
熟練しても
その中に幸せを見つけていたとしても
ふとしたことで悲観的になったり
危うくなったりするのかもしれない。
女の子のおじいちゃんは、
たまに会うと、
「大きくなったね」とか言うのでなく
ため息をついて
「これからどうするね」
と母親に言っていたらしい。
祖父の立場からは
娘を案じる気持ちも大きいだろうが
孫の存在を、丸ごと愛しんでくれたら
娘さんもっと頑張れたのかも・・・
いや、頑張り続けるしかない
という考え方じたいが
違っているように思う。
でも、母親が頑張り続けるしかない
という動かしようのない現実も
あるのだと思う。
犯した罪は重いが
実刑になるのは忍びない・・