1才は、やっぱり生まれて1年のこと
2020/01/03姑の、「3(み)七日」の法要に行った。
いまだに、お経は間近で聴くと、ちょっとつらくなる。
お坊さんは、お経が終わっても、結構長くいてくださる。
あゆみのときも、そうだった。
でも、あゆみのときは、私がずっと泣いていたし
どんな法話も、会話も、ほとんど成り立たず
やりづらかったことだろう。
(つらい気持ちはわかるが)「死は必ずしも不幸なことではない」
というようなお話が多かったように思う。
現在、私自身については、まったくそう思う。
でも、当時、あゆみに関して、まったくそう思えず
私は無反応。
お坊さんは、沈黙。
お茶もなくなり、空の湯飲みに何度も手が行き、、、
とう光景が蘇る。
きょうは、私も、素直にうなづきながら聴いていた。
そして、「この話もあった!」と思い出す。
「人類は、35億年、途切れることなく命が続いている。
だからお義母さんは、35億96才の生涯を生きられました。」
これ、あゆみのときは
「35億1才の命を生きたと考えることができます」
と言ってくれたんだよね。
はあ~???(考えれねーよ)
って表情を返して、ゴメンなさい。