片時もじっとしていない子と法話

2020/01/04

もう素直に、お坊さんのお話しを聴かせていただこう

と思って法要に参加していた。

ところが、いっときも静かではなかった。

 

2日に書いた親戚とは、また別の親戚。

ここにも小さい子が2人来た。

1人は、特記すべきことがある。

片時もじっとしていない。

 

部屋の隅に、アコーデオンカーテンがあり

その仕掛けが面白いのか、

開けて、閉めて、開けて、閉めて、開けて、閉めて、、、

ガシャン ガシャン ガシャン ガシャン がエンドレス。

磁石というものが付いてるんですってば。

 

下の子もしたいが、ガシャンガシャンを替わってもらえず

下の子、ふすまで始める。

開けて、閉めて、開けて、閉めて、開けて、閉めて、、、

仕掛けも何もないのに、

ずどん ずどん ずどん ずどん ずどん

 

お経の間は、別にいいです。

聞いても、私には意味不明ですし。

でも、お話しは、聴こうと思って来たのに

聴こえない!

お坊さんも、ガシャン、ずどん、のなか

平然と話されているのは、耳が遠いからだろう。

 

私は、ムリ。

限界だった。

叱れるほどの関係でもないし。

 

そもそも、叱ることなのか?もわからなくなった。

親が来るから、いやでも仕方なく来ている子どもたち。

かつての私が、お経に何の意味があるの?

と斜めから見ていたのを、ストレートに表現しているわけで。

 

でも、下の子だけは、やめさせたほうがいい気がした。

上の子は、やめさせようがないらしい。

この場に同席を強いる以上。

 

何で下の子をやめさせないのだろう・・・

そうか。

疲れきってるんだ。

 

親が疲れきって、我が子に手をかけてしまう事件がある。

事件となったとき

止めようがなかったのか?児童相談所は何してたんだ!

と世間は責め立てる。

あとから言うだけなんだ。

じゃあ、親が疲れきらないように、日々助けてよ。

 

何もできていない私は、

じっとしろとか、うるさいとか、何とかしろとか

言えることでも、言うことでも、ないと思った。