当事者にも相手側にもある「個別性」

2020/09/25

グリーフの「個人差」の続き。

 

お子さん亡くされた方とお話ししていて

いい人やなあ、いい人過ぎる

と思うことがある。

 

悲しみのなかで人の優しさはよく見え

苦しみのなかでこそ、骨身に染みる

ということを、おっしゃっている。

 

それ、わかる。

わかるけど、

私は、そういう経験をたまーにし、

その10倍?の頻度で

シラー、という経験をしていたもので

もっと清く生きねば、と自戒していた。

 

例えば、

「何も聞かずにいてくれた。ありがたかった」

 

と私はあんまりならなかった。

知ったら、聞いてくれるのが自然じゃない?

でも聞くなら、最後まで聞いてよね

となる・・

 

つまり、

お子さんは?と聞かれ

2人いたけど1人は亡くなって、と言ったあと、

「そうでしたか」

で終わる相手がいい、という人、けっこういる。

 

私は、

亡くなったんですか?という反応を想像し、

そして、なぜ亡くなったのか、あるいは

どういう子だったか等、話す自分を想像し、ところが

「そうでしたか」かーい。

なんで何にも聞かないんやろ・・・

とまで思ってしまったりする。

 

これ、こちら側にある個別性で、

個別性は、相手側にもあるわけだから、

個別性と個別性をかけ合わせたら

結構なパターンが生じる、っていうわけだ。