ただ抱きしめる とは

2018/03/20

前回書いた「相手を知ろうとする姿勢」
の関連で、
一度、看護師さん対象の講義で
キツイことを言ってしまったことがある。

遺族ケアに限らず、心の「つらさ」へのケア
のあり方について、質問させていただいたときのこと。

何が正解、とは断定できないだろうし
人によって、してもらいたいことも違うだろう。
なので、考え方を知りたいと思った。

回答は、さまざまに挙がった中で
一人にだけ、つい、言ってしまった。

「ずるい」と。

その人の回答は、
「私は、とにかく抱きしめてあげるんです」だった。

なぜですか?と尋ねると
そうすれば、落ち着くから。安心するから。
と、考えを教えてくれた。

私が感じたずるさ、とは
看護師は、初対面の人の体に、いきなり触っていい職業だから
だった。

なぜ泣いているのか
何に苦しんでいるのか
あるいは、何に怯えているのか

ぜんぜん知らないのに、
いきなり抱く。ただ抱く。
それで「できた」ことにする。のだとしたら、
思いをめぐらせ
時間をかけて
相手を知ろうと努力する人との
費やすエネルギーの「差」は、どうなるのだろう。

何て声かければいいだろう
とにかく、何に困っているのか、把握しよう。
どんな役にたてるのか、考えよう
そのために、言葉を聴こう

職権や、専門性だけを武器にせず
人として向き合ってくれる看護師たちの努力を
たくさん知っている。

一方で、
一番苦しかったとき
ただ抱きしめてくれた人の思いやりの深さに、救われた
といった遺族の声が、
多く存在することも知っている。

ふと、また、考えた。

「ただ抱きしめてくれた」は
抱いてくれた、が強調されているのだろうか?
もしかしたら
余計なことは言わなかった
も秘められているのかもしれない。

言葉に逃げない思いの深さが
そこに必要なのではないだろうか。