悲しみを大事にして過ごせる環境
2021/10/05昨日のつづき、悲しむための条件について。
ある程度安定したなかでなければ
人は悲しめない、と言われている。
私が出会ったお母さんで
涙が出ないことに苦しまれた人がいる。
お子さんは、突然の病気で、闘病なく亡くなり
医師からの説明も、ほとんど記憶に残らず
一体なぜ、わが子がいないのか
かなり長く理解できないまま過ごされた。
もし、子どもの闘病に寄り添うことができ
丁寧に説明を受け、質問もし、
可能な限り望ましい最期を迎えたなら、
「悲しみ」にとって、かなり条件が整ったと言えるだろう。
そうすれば悲しみが減る、と言っているのではない。
悲しむことを妨げる要因が減る。
悲しむことを妨げる要因が、家族の場合もある。
家族の誰かに、泣いたり悲しい話をしたりすることを
望まない人がいると、
ありのままの姿で家にいることが、難しくなる。
悲しむことを妨げる要因には、生活苦もある。
シングルマザーで、2人のお子さんを必死で育てていたなか
お子さんが亡くなり、お母さんは言われた。
「働かなければ。この子には私しかいないので」
忌引きが終わるなり仕事は続いた。
今いる子を養うことが、まずあって
その子は、2人で留守番できたのに、1人になってしまった。
お母さんは、その気持ちも考えなければならない。
ではお母さん自身の気持ちは?
置き去りになっていた・・・
静かに亡くなった子と向き合い
しっかりと悲しみ
しみじみと涙する
こうしたことが心の回復のために、大事とされるなら
いくつもの条件が整ってこそであるし
いま、悲しむことができる環境にあるようなら
悲しみを大事にして
過ごしていただきたいなあ、と思っている。