もともと自分はどういう人物だったのか
2021/10/06会員さんと行っている勉強会の、文字起こしをしている。
大事な箇所は、お話ししてくださっている部分で
私が話したことは、どうでもいいことなのだけど
私の部分も、改めて見てみると、そうだなあ・・・
職場復帰をされると、いいことがある一方で
つらいことにも遭遇する。例えば
子どものことを涙ながらに話すと、すごく謝られたり、
「まずい」とばかりに話題を変えられたり。
私はこの話題のなかで
本人が話し始めた話だったり、泣きながらでも、
本人が話を続けているのなら、そのことを手掛かりに
「この話は聴いていい話」と、なぜ判断できないのだろう?
と言っている。
しかし問題は、今の私の考え方ではなく
あゆみを亡くす前の私は、どうだったのか?だ。
私は以前からそうでしたよ、と言えるのだろうか?
もともと自分がどういう人物だったのか
もはや、わからない
そう思った瞬間、思った
うわー 長く生きた。
あゆみを亡くす以前の自分が、あまりに遠い。
こんなに苦しくて、私、生きていけるのだろうか?
と思った私が、
こんなにも長く生きた。
もともと自分が、どうだったか、よくわからないなら
世間一般の無理解に、
もっと理解を示したほうがいいだろう。
その人たちは、かつての私である可能性が高い。
でも、いくら考えても
あゆみを亡くすまでに、子どもを亡くした人が
身近に、知る限り、
一人も、ただ一人もいなかった
という事実。
改めて、愕然とするが
日本て、すごい国だと思う。
素晴らしく優れ、ずっと平和な国。