どんな話も真顔で聴いていいと思う
2023/10/23以前、授業で、大切な人の死を人に話すとき
驚きや、怒りにも似た感情が
表情に自然に現れてこそ
本当に聴いてくれていると思う
といった考えを出されたことがある。
そして、私はどう考えるか?と。
その人の「大切な人」が
どのように亡くなったかは聞かなかったが
私はその話に、同意できなかった。
しっかりと話を聞くとき
心の中は大きく揺さぶられても
表情は、真顔でいいと思っている。
自分の表情が、相手の話に影響しては
話を妨げていることになると考えるから。
実際、私自身も
あゆみの死について人に話したとき
聴く人のつらさが、「みけん」に凝縮され
ややもすると、ぞっとするような話かのようで
愛しい存在に、似つかわしくなく
悲しみを増幅した経験がある。
こういったことには個人差があり
話をどう聴くか
話をどう聴いてほしいか
ということは型どおりにはいかない。
なので、ちょっと棚に上げておいた。
そして先日
一人の女性の講演を聴いた。
お母さんを自死で亡くされている。
この人が言っていた。
「自殺と言って、みけんにしわを寄せられると
もうこの人には話せないと思う」と。
同じだ。
死因は、同じではないが、
死因に関わらず、だ。
これからも、
表情薄いと思われたとしても
真顔でしっかりと聴こうと思う。