親以上の自負が伺える言葉かもしれない

2024/06/15

他人に言われて傷ついたり、

不快に思ったりする言葉が、遺族にはある。

昨日は、

「気づけなくてごめんなさい」に触れた。

 

この言葉を、良くない言葉だと

最初は理解できなかった。

「気づけなくて」とは、「私が気づいていたら」

ということだから

避けられた死だったのに

という思いがあるのだろうか・・・

 

でも、避けられなかったのだ。

 

ところが、他人が、

私が気づいていたら、こうはならなかったのに

と思うのは、

親や家族からしてみれば

思い上がりだろう。

 

いつも思い出すのが

多くの遺族が「いやだ」と思っているのに

私は、とても良かった言葉がある。

 

「つらいでしょう。私だったら生きていけない」

 

なぜ嫌なのか?

教えてもらったから、頭では理解できているが、

心情的には、あまりピンときていない。

私がこの言葉をかけられたとき

ああ、この人は、死ぬほどつらいことだと

認めてくれている!

と救われる思いがしたので。

 

ところが、多くの遺族は

「私だったら、って、聞いてないし」

と怒っている。

今回この言葉に、また別の解釈を思いついた。

 

「私だったら生きていけない」

と言われてしまうと、

親以上に愛情深いような自負が伺える。

 

死ぬほどつらくても

必死で生きて

ぎりぎりのところにいる親を

否定する言葉に相当するのかもしれない。