対話は大きな力を生むが言葉そのものは不十分な部品かも。
2009/09/06 言葉は、日常で欠くことのできない、大事な道具であり
意思が相手に伝わるように、言葉を使いこなす努力は大事だと思う。
用件については、努力でほぼ伝わるだろう。
けれども、気持ちを「わかってほしい」ような伝達の場合
限界を感じることが、多い。
先日、東北大学の医学部の、1年生の授業に出て
私も担当する枠があったのだけれど、
別の講師(お医者さん)のお話しがとても興味深かった。
「コミュニケーションの阻害因子」というテーマで話され、
Mehrabianの法則というものを教えてくれた。
コミュニケーションで相手に伝わる情報の量を示している。
言葉のみであれば、7%なのだという。
目から入る情報だけなので、これは文字のこと(言語情報)。
メールや手紙がこれに相当する。
話し方では38%。
これは耳から入る情報(聴覚情報)で、
電話がそれにあたる。
表情や仕草が見える話し方では55%(視覚情報)。
会って話すことが、いかに大事かが、よくわかる。
目は口ほどにものを言うとも言うし。
メールは便利だけれど、
まったく不十分なのだと、改めて知った。
当会のインターネット掲示板は、
管理人さんの人柄と技量で、一度も揉めたことがないけれど、
大抵の掲示板は、すぐに摩擦が起こってしまう。
私は、電話がニガテで、
なぜなのか、よくわからないのだけれど、
かけ慣れているところへは、まあ平気でかけられるけれど、
特に初めてかけるお宅には、非常に緊張してしまう。
顔の見えない相手と話ができる文明に、未だに付いていけない
古代人なのかもしれない。
ところが、会って話すことは、大好き。
ふと思った。
目の見えない人は、相手の仕草も、目も、見えないなか
おそらく、聴覚情報だけで会話するのではないように思う。
聴覚は、相当に冴えているのだろうけれど、
聴覚以外の感覚も、活発に働くのではないだろうか。
空気で感じるのか、肌で感じるのか、
心の目とは、そういう感覚のことをいうのかもしれない。