思いやりって、子ども扱いすることじゃないと思う。

2009/09/04

あゆみのことを書こうと思っていたのだけれど、
もうちょっと言葉を整理してから、ということにし、
しばらく留守して、あっちこっち行き、いろんな人に会ってきた。
書きたいことは一杯あるのだけれど、、、
出かける前に病院に行ったときのことから。

腰にあったおでき(にきび?)が膿んで、腫れて、ひどいことになった。
疲れが溜まると、こういうことが起きる。
何年か前にも皮膚科に行って治療したのに、またなった。

病院に行くにあたり、何を考えたか、というと
実は、皮膚がんではないか、とおびえていた。
「皮膚がん」で検索すると、
再発したできものは、がんの可能性がある、みたいなことが
書いてあるページがあったからだ。
こういうときに、「出るな〜」と思う。マイナス思考が。
ふつうの人なら、まさか、と思うことを
まさかと思えない。

診察室に呼ばれると、とっても若い女の先生だった。
私はすぐにベッドにうつ伏せになった。
歩いても、服が擦れても、痛くてたまらないのに、
かわいいその先生は、指に力をこめて
ぐいぐい押さえて、つねって、絞りきった。
私は、小さな四角い枕に、両手でしがみつき
声を押し殺して、うめいた。
ここが家だったら、のたうちまわったと思う。

こんなヒサンな私に対し、横で見ていた看護師さんは
「ああ、えらかった、がんばった」
と褒めてくれた。が、しかし
私は、ぜんぜん嬉しいと思わなかった・・・
あまりにも子どもに言うみたいにされると
余計にあわれに思え、
シュンとなってしまうのだ。

このとき、2つのことを思い出した。
1つは、あゆみを産んだとき。
あのときも、うめいたなー みたいに。
なんで、腰(ほぼおしり)のできものを握りつぶされながら
お産を思い出すかなあ、あゆみに悪いわ、と思った。

2つ目は、母が救急車で運ばれたときのこと。
道で倒れているのを、近所の人が見つけて、知らせてくれたので
私も救急車に乗って、病院に運び込んだ。
母の氏名は私が言っていたので、明記されていたのに
病院の看護師さんは「おばあちゃん、看護婦さん、わかる?」
と、何度も自分のことを「かんごふさん」と呼び
大きな声で、おばあちゃん、おばあちゃん、と呼びかける姿に
かなしくなっていった。

母が返事をしないのは、
頭のなかで出血していたからなのだけれど、
「おばあちゃんなんて呼ぶからだよ」と、私には思えた。
母には孫が3人いるけれど、
誰からも、おばあちゃんと呼ばれていないし
他人からも、おばあちゃんとは呼ばれたことがない。

患者を子ども扱いするのは、なぜだろう?
弱っても、病気をしても、年をとっても、
大人が子どもになってしまったりは、しない。
そしてやっぱり、私は、名字呼びが好きだ。

腰の「おでき」は、結局、手術で取ることになった・・・
手術室に行くのコワイけれど、潜入ルポのつもりで挑んでみよう。