敬意をこめて、「さん」と呼びませう。
2009/06/25 福岡で開かれた、「赤ちゃんのいのちと向き合う」フォーラムに行ってきた。
いろんな出演者がいて、
臨床心理士、遺族会代表(わたし)、小児科医、助産師、救命救急士、遺族ご本人、
と話が続く。
以前も、私は、名字+さん呼びを、大切にしていると書いたが、
自分が呼ばれてキモチワルイのは、「先生」とつくとき。
以前、私は、先生だった。
それは、理論や、技法を、教えていたから、先生だっただろう。
講演講師で招かれたときは、講演中、そう呼ばなければカッコつかない
というのは、あるかもしれないけれど、
終わったら、もう、私は先生ではない。
なぜなら、私(たち)が向き合っているのは、死別にまつわる、
悲しみであったり、それに適応するための考え方であったり、なので、
教えるものでも、解くものでも、ましてや、治すものでもない。
しかも、決して解決がつかない。
誰によっても、それはムリ。
この分野で、先生と呼ばれても違和感がないというのは、、、
まあ、人それぞれだから、人のことは別にいい。
でも、私自身はキモチワルイから、「坂下さん」でお願いします。
と会場の方々に、お願いまでしている。
私の知る偉い先生にも、
「私は、きょうここでは、先生ではありませんので」
と「さん」を求める人は、いる。さすがだと思っている。
でも、考えたら、市民団体や、家族会が、
通常、先生と呼ばれる人物を招く場合、
先生と呼び続けるのが、礼儀と考えるし、
そうしなければ、「先生」に気分を害されると、思うかもしれない。
ところが、今回のフォーラム、最初に、
「本日は、全員、さんで呼ばせていただきます」と、断りがあった。
言ったのは、主催者である、遺族会の人。
私は、心の中で、大きな拍手を送った。
そうよ。きょうは、ぜったい、そう。
医師もきょうは治療者ではないし、この舞台に医学は通用しない。
さまざまな立場、職種の人が、
亡くなった赤ちゃんの生死(しょうじ)について
同じ土俵で、独自の言葉で、語るのだから、
姿勢も、呼称も、縦ではなく、横に並びたい。
という私のきもち、言ってなかったのに、ちゃんと反映されていて、
とってもうれしい幕開けとなった。
もちろん、先生方もこころよく。
始めが良ければ、思ったとおり、ずっと最後まで、よかった。
細部にわたり、ここまで配慮の行き届いた催しには、
めったに出会えない。
私はこの前日、企画された方々に
個人的にお話しを伺う機会に恵まれた。
最愛のいのちを見送り、10年以上もの歳月を生きた人の、
言葉と、まなざしは、美しかった。