しあわせって何だろうー2

2005/05/01

“いまあるものに気づかなければ、一生しあわせにはなれない”そう気づいて、
『私はしあわせです』と言えるようになったと前回書きました。
それでもまだ私は、
幸せって、うれしい事があるか、つらいことがない状態をいうように思っていました。

みほさんは、私が出会ったころ、すでに末期がんでした。
上のお子さんは不登校で、下にまだ小さいお子さんがいました。
学校に行かないそのお子さんのことを、優しいいい子だと教えてくれました。
その子が「お母さん、きょう学校に行ってみようかな」と言うと
校門のところまで一緒に行き、見送ってあげるために命をつないでいました。
役割意識が体力を温存し、余命を延ばしていきます。

時を同じくして、かつての教え子の母親から電話がありました。
「子どもが学校に行かなくなってつらい」と、搾り出すように打ち明けられました。
何時間も話を聴かせていただきましたが、解決の糸口など見つかるわけはなく
「大事なことは時間をかけて考えるのがいいですね」とだけ言い、電話を切ました。

このとき、あああっ!と思いました。
同じことが起こり、同じように胸を痛める母親がいて、
時間がたっぷりある親子と、もう時間がない親子…。
しあわせとは、つらいことがない状態でも、つらいことに解決がつくことでもない。
考えるための時間が与えられていること、そこにしあわせがあるんだわ。

時間さえないなか、
「私はしあわせ」と言っていたみほさんを、私はずっと尊敬しています。