人はなぜ生きるのですか?

2008/04/18

 これは新聞記事のタイトル。
私もこの問いと長く向き合っていたが
明確な答えが分からないまま私の場合、
分からないながらも考えて生きていくそのことに価値があるかな、
というところに帰結していた。
しかしそうはいかない次の文面に衝撃を受けた。

 16歳の高校生が朝日新聞に送った投書
≪私は中学からいじめられてきた。親は「高校に行ったら良いことがあるよ」と言った。しかし高校でも何も変わらなかった。別に今の自分の境遇を悲観しているわけではない。ただ、なぜこんなにつらいのに、私はここにいるんだろうと疑問に思っているだけだ。世界では生きたくても生きることのできない人がいる、その人の分まで生きていかないといけない――そんな言葉は聞き飽きた。と言うより、そんな言葉は遠い世界の話のように感じる。人は生きる目的を見つけるために生きている、といったきれいごとで答えてほしくない。人はなぜ生きるのだろうか。≫
 
 読み終わって言葉が浮かばず、固まった。どうしても気になるのは
「別に今の自分の境遇を悲観しているわけではない」という前置きの言葉。
この子は、中学でも高校でもいじめられ、つらくなかったわけがない。
限度を超していることの表れのように思え、
言葉以外に何やらきしむような音が聞こえてきそうだった。

 子どもを亡くした人は、子どもたちが自ら命を落すことが耐えられず
思いのたけを、
私の子どもは病気のため生きたくても生きられなかった
だからあなたたちは命を大切に生きてほしい
といった言葉で表わすことが多いように思う。
でもこの表現、ほんとうに届いてほしい子には届かないのではないかと
常々考えていた。生きていることに無自覚である層にはもちろんのこと。

 では、切実な思いをもって「人はなぜ生きるのか」の問いを投げてくる子どもに
どんな言葉であればその子の心に届くだろう。
とても難しいので、一緒に考えてもらえるかもしれないと思い
新聞をかばんに入れて授業に行き、演習の時間、頃合をみて話題にしてみた。
院生は呆然となり無言。教授は何か言ってくれたが、
本題からは反れたムズカシイ言葉だった。ガクリ。
この問い、ずっと考えていこうと思う。