アラジンの魔法のランプ

2008/04/30

連載していた雑誌の最終回を迎え、夫のことを書いてみました。

この詩は、夫のつぶやきを私が書きとめたものです。
娘が亡くなって3年経った頃でした。

きみのことを考えると
必ず行き着くアラジンのランプ
あれがあれば 願いごとを三つかなえてもらえる

ひとつ目のお願いは
きみが生きていた頃に 時間を戻してもらうこと

ふたつ目のお願いは
どんな病気やケガも 治せる力を授けてもらうこと

みっつ目のお願いは…
いまは思い浮かびません
それはきみに会えるときまで
大事にとっておきます

魔法のランプは ないと分っているのに
きみのことを考えると 魔法のランプに行き着く
そしてため息が出る あー
夢でもいいから会いたいなあ

まだ少し先のことになるけれど
また一緒に暮らそうな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その頃夫は、「ガラスの風船やな」と言ったことがあります。
家庭とは風船のようなもので、1人増えるたび膨らむ。
ところがこの風船、家族が減ったときには縮むことができず、
元の大きさに戻そうとするとパリッと割れてしまう。と言っているのです。

そのとおりだと思いました。
だからわが家では、娘の父親である夫と、娘の母親である妻の私が、
私たちの文脈のなかで、姿のない娘と暮らすようになりました。
そうしていつしか娘は、私たちの判断の基準となり、生きていくうえでの指針となって、
私たちの人生を根底で支えてくれる存在となりました。

改めて夫に尋ねてみました。
10年生きてみて、分かったこと、ある?
夫は言いました。
「戻って来ないと分かるまでが、長くて苦しかったなあ。
もう、どうしたって、連れ戻すことはできないんだと分かってから、
あの子と『出会えた幸せ』を思えるようになった」。

365日×10の3650日間、夫が必ずしたことは、
夜寝る前に、娘の頭をなでることでした。
遺影のガラス越しですが、
本人がいた頃と同じように。