私も、だいじょうぶと言ってほしかった

2008/06/13

秋葉原で通り魔的な殺傷事件があり
誰もが衝撃を受けたことと思います。
報道の中で知ったことですが、
偶然通りかかった医師が救助にあたったものの
素手では成すすべがなく、打ちひしがれた思いを語っておられました。
そして、重症を負っている女子大生を救急車に送り込むとき
付き添った知人から、だいじょうぶでしょうか?と尋ねられ、
だいじょうぶ。信じろ。と言ったそのことを
あれでよかったのだろうか… と苦渋の表情を覗かせました。
彼女は亡くなられたからです。

当事者である方々の心情をうかがい知る事はできませんが
私ならそのとき、この医師が言った言葉そのままを言ってほしいです。
私なら、正しいかどうかよりも、突き落されるような言葉に心がこわれます。
だいじょうぶという言葉――あゆみが重症で搬送されたとき、
お願いだから言って、と
懇願するように担当医の目の奥を見つめましたが、
ついに一度も言ってもらうことはできませんでした。
大丈夫だと信じてやってほしい
という願いからかもしれません。

この会で多くの体験者と出会い、
何人もの方に、「だいじょうぶ」という言葉、ほしくなかった?と尋ねたところ、
亡くしたかたの多くが、「言ってほしかった」。
あるいは、「だいじょうぶと言ってくれた言葉が忘れられない」と肯定的で、
後遺症を残した方の多くが、「それは安易に言えることではないはず」
あるいは、「そう言われたら治ると思い込んでしまう」と真っ当な答えをくれます。
では、重症で搬送された直後、医師のどんな言葉がよりどころとなるのか
いま調べているところですが、多数の意見から、どうもこの一言のようです。
「任せてください!」

先の、偶然居合わせたお医者さんは、
病院の中で、主治医として、重症の患者や家族と対面するときには
また別の言葉を言う人なのかもしれないですが、
やっぱり、私なら、まずはだいじょうぶと言ってほしい。
現実を思い知らされるのは、ほんの少し後のほうがいい。私なら。