心のいのち

2008/11/20

年に1回、西宮市にある女子高の授業を担当しに行く。
ここは高校では珍しく、医療コースがある。
その1年生というと、どれくらい医療に近いのか、遠いのか、
ちょっと見当がつかないのだけれど、
中学校じゃないのだから、一応、医療者のタマゴと考えてお話をする。
患者やその家族は、何にどう困り、医療者にどんな期待を抱くか、など。

今年は授業を始めるときに、何才?って尋ねたらところ、
15才と言われ、ひぇぇ おさなっ と思った。
息子と同い年!息子はとっても幼い。(まだいっしょに寝てる。おふろは別)

そうか… 医療の話より、いのちの話をしようと思った。
医療従事者になるために、専門的に学ぶのは主に「生命」の理論だけれど
とくに看護師は、生命だけをあずかり、見つめているわけではない。
「いのち」って書いたとき、どんな感じがする?
って、授業のさいごで尋ねてみた。

それぞれに、抱いた事柄やイメージを表現してくれて、
だいたい似通うから、そこで話題が膨らみ、おもしろいのだけれど、
一人、こんなことを言ってくれた。
「心のいのち」
心にも生命があるという。

死んでいなければ、それは生きているということ。
でも、ただ生きているようなときが、誰にでもあるかもしれない。
心にも生命はあって、
心も生きている状態でなければ、
本当に生きているとは、いえないのではないだろうか。
生きている ということと
生きていく ということは
意識も、意志も、姿も、まったくちがうと思う。