「ひろこさん」と呼ばれてうれしかったから。
2009/03/08 私は、「小さないのち」の会員さんのこと、名字で呼ばせてもらっている。
田中さん、山田さん、佐藤さんのように。
ここは「家族会」なのだから、文字通り家族のように考えたい気持ちは、ある。
けれども、呼び方は、名字にしている。
名前で呼び合おうと決めている家族会もあり、
「ちゃん呼び」にしているところもある。
そこへ私が訪ねていっても、私は相手を名字で呼ぶものだから、
そこでは私だけが「坂下さん」と呼ばれる。
ふと、さみしい気もする。
自分だけが溶け込めないような、
どこかが違うような。(実際、人はみんな、それぞれ違うんですが)
だから私は、いつも、誰に対しても、名字で呼ぶ。
うちの会でも、名前呼びをしている会員さんどうしの交流を見かける。
早く打ち解けようと気を配ってくれているようだ。
そこに口は挟まないが、
その一員になれている人は安堵するだろうが、
まだそうではない人の胸のなかを、ヒンヤリとしたものが吹き抜けることがあったなら・・・
そういうことが、ほかでもない家族会の中で起きると、つらいのだ。
実際、名前で呼ぶはずの相手を、うっかり名字で呼びかけた瞬間を目撃する。
首を突っ込んでいないはずの私がドキッとする。
私はいっつも、名字と、さんにしておきたい。
うっかりなど、起こらない。
もし、名字がうっかり出てこないようなら、これは老化現象なので、大目にみてもらうしかない。
ところが先日、会の活動を離れ、沖縄に行ったとき、
現地のご遺族が、不意に「ひろこさん」と私を呼んでくれたとき
何ともいえない安らぎと、温もりを感じた。
名前っていいな、と思った。
私も、その方のことを名前で呼ばせていただいた。
でも、嬉しいことがよくわかっただけに、会のなかでは、やっぱりやめておこう。
老化した頭で全員のお名前を覚えられるとは思わない。
気分でそうして、気分でしたことで、相手の気分を乱すようなこと
しないほうがいいと、やっぱり思う。