亡くなった子の特別な日

2009/03/10

名前は大事。のつづき

とくに、亡くなった子の名前は、特別に大事。
我が家も、家のなかで家族が口にしない日はないけれど、
外で聞くことはもうなくなっている「あゆみちゃん」という名前。
たまーに、自然に言ってもらえたとき、
もうその日が特別な日になるくらい、嬉しい。

そんな、亡くなったお子さんの特別なお名前を間違ってはいけないので、
私はいつもひらがなで書かせていただく。
難しい字のお子さん、
同じ読み方の漢字がたくさんある文字のお子さん、
パソコンに勝手に変換された文字の間違いに気づかなくても困るし。

誰にとっても、自分の子は特別な一人。
特別な子の特別なお名前を、うっかり間違えることが
とてもこわい気がする。

こういうことを、とてもこわく思うようになったのは、
日にちの間違いからだった。
亡くなった子にとって特別な日は、誕生日とお命日。
私は以前、会のお子さんの誕生日と命日を、ぜんぶ覚えていた。
覚えているつもりでいて、あの間違いが起こった。

とても叱られた。
「叱られた」という言い方は、私本位のとらえかたで
相手にとっては、悲しい思いをさせられた。になる。
深く悔いて、二度と同じことをしないと心に誓い、
またしてしまった…。
そのときは叱られなかったけれど、
以後、私は特別な2日に触れなくなった。

なぜ私からは、誕生日のおめでとうや、命日に贈る言葉がないのか?
と思われているかもしれない。
それは、お子さんにとっても、ご家族にとっても、とてもとても大切な日だから。
相手を多数ととらえているような、今の自分には、触れられない思いがある。
ただ、ピンポイントで触れることを差し控えるぶん、
どなたとも、毎日を、特別な日に近いような真摯なきもちで
お付き合いさせていただければと思っている。