親が子を思う以上に子は親を思っていることがよくわかった。

2009/03/18

思春期のがん患者への心理的サポートのありかた
を考えるシンポジウムに行った。
医師、臨床心理士、保護者の発表も参考になったが、
もっとも引き寄せられたのは、思春期に闘病した患者本人の発表だった。
当会の患者さんは、小さい子が多いので、
こういう大きい患者さんの体験談を、私はほとんど知らない。

 小児がんの治療は、本人に病名を明かさず行うことが難しいため
親だけでなく、本人を交えて説明が行われることは耳にしているが、
思春期ともなれば、自分の病気をどんなふうに感じ、捉えるのか、
第三者には理解が及ばない。

 発表者の女性は高校生の頃を振り返って話してくれた。
医師から告げられた病名は、急性リンパ性白血病。
がん!わたし死ぬの?と思った。しかし、
不安やつらさを、両親に話すことはなかった。
両親には向けられなかったそうだ。
両親の愛情を一身に受けて育ってきたから。
だからこそ、親にはこれ以上つらい思いをさせたくないと思った。
思春期の子どもの愛情の深さに心を打たれた。

 お母さんは、毎日、仕事の帰りに必ず病院に来てくれた。
お父さんも、できる限り来てくれた。
もしかしたらご両親は、感情をあらわにしない我が子に
物足りなさを感じたかもしれないが、
当時の胸のうちを語る本人の口からは、
「しあわせ」という言葉と、「恵まれている」という言葉が
何度となく出ていた。

 思春期の子どもたちは、同級生のほうが話しやすいのだろうか?
そう思ったが、最初はそうではなかったらしい。
元気な頃の同級生との話題は、勉強のことか、友だちのことか、好きな人のこと。
そんな相手に、命に関わるような話や、
まして死にまつわるような話など、かけ離れている。
同級生のほうもまた、どんな言葉をかけていいかわからず、
思い悩んでいたということを後で知る。
高校生らしさが伺えるが、これは高校生でなくても、
大人であっても大差ないだろう。

 病院にはいろんな規則があるが、患者にとって、
「これだけは手放せない」というものがあり、
もし規則により許されないとなると、
つらい治療や闘病はさらに耐え難いものとなる。
ということにも言及した。
彼女にとって欠くことができなかったものとは、ケイタイだった。
同級生とのメール交換が闘病を支えたからだ。

 どんなメールが彼女を励ましたかというと、
それは、いわゆる「励まし」の言葉の類ではなく、
その日あったことや、学校での些細な出来事を知らせてくれるメールだった。
学校というところは、長期欠席すると、
「いない人」になってしまう。
それがたまらなくつらいと言う。
友だちが忘れないでいてくれる。
姿がない教室に自分が存在していることが、嬉しかった。

 その後骨髄移植に成功し、
いま彼女は卒業を目前にした大学院生。
高校時代は勉強や受験どころか、命をかけた闘病を経て、
卒業するだけで精一杯だったそうだが、
そこからゆっくりと進学し、長く学生生活を満喫した様子が伺える。
就職先は大学院で専攻した関連へか?尋ねてみたところ、
「いいえ、まず一般企業でがんばってみます!」
そう話してくれた目が、輝いていた。