晴れの日も、雨の日も。

2009/03/22

ずっと前に(「したくてもなかなかできない生き方」で)書いたことですが、
ブログ好きではない私が、必ず毎日訪問するブログがあります。
発達障害のあつ君の日常を綴っているブログです。
このブログが何ヶ月も更新されなくなり、お母さんに尋ねたところ、
ブログの大変さを知りました。

ブログというのは、たくさんの人からコメントが入ってくるので
だんだん本音が書けなくなるそうです。
そして、コメントしてくれた人のブログにもコメントすることが礼儀らしく
忙しくてたまらなくなるそうです。
何のための、誰のための日記か分からないですね。
私の不定期日記は、ブログではないので、コメントいただく機能もなくてスミマセン。

私は、意を決し、お母さんに陳情しました。
コメントをもらわないように設定してでも、
あつ君の日常を、社会に(オーバー?)発信してほしい。
あつ君の言動に、どれほど多くの、疲れている大人が癒され救われていることか。
私は、何度パソコンの前で涙を流したことか。
あつ君は、庭の花のお世話をしていて、毎日お水をあげます。
毎日必ずなので、雨の日もです。
たぶん話しかけながらだと思います。

毎日必ずというのは、すごいこと。特に雨の日は大変だと思う。
そうすることを、人はヘンだと言うかもしれない。でも、
私が花なら、雨の日、水は確かにいらないけれど、会いには来てほしい。
自分はヘンではないと思っている人たちは、
雨の日、水をやらずに、会うためだけに花のそばまで行く?挨拶だけしに行く?
行かないよ。そんなこと、してくれない。
これは、花の問題に留まらず人間の問題なのだと思う。
人間も、ご飯を食べていれば、「生きている」ことはできる。
でも人間は、ご飯だけで人間らしく生きることなどできない。
人間らしく生きるためには、晴れの日も、雨の日も、
必ず自分のことを大切に思ってくれている人がいてくれるからだと思う。
どんなときも、見守られている確証があるから、美しく咲けるのだと思う。
現代社会は、効率的で目まぐるしく、子どもも、大人も、淋しさに耐えなければならい。
そんな時代にあって、いつも無償の、駆け引きを知らないあつ君の言動は、
こんな時代だからこそ、人々の心を癒し、
大切なことが何なのかを、気づかせてくれるの。

はっと気づくと、力説しちゃってました。
でも、その日からブログが再開されたから、
私にとっては、めでたしめでたし。

後日談ですが、
息子にこのことを話したら、「あると思います!」と、
愛情と現象(美しい花が咲くなど)の関係を話してくれました。
雪に「きれい、きれい」と話しかけると、結晶が美しくなるそうです。
息子が、みょうばんの結晶を作る実験をしていたときも、
一所懸命お世話していたとき、きれいな結晶を見せていたのに、
冬休みを挟んでお世話が滞ったため、「きたない」とうっかり言ってしまったあと、
結晶はみるみる崩れていったというのです。
言魂(ことたま)ってあるんですね・・・