昔、私は神様から選ばれた人でした。

2009/03/29

またまた障がいの続き。

かつては、障がいというと、
体が不自由であるか、知能の大きな遅れがあることしか思い当たらなかったが、
実にたくさんの障がいがあることを知ったのは、
息子が5歳くらいのとき、ADHD(注意欠陥多動性障害)
の疑いがあったことによる。
大学病院に連れて行き検査を受けると、説明が非常に複雑で、
子どもの発達に関する障がいが多様であることを知った。

息子は、じっとしていたことがなく、
いくら教えても教えたようにはしなかった。何事も。
家で毎日私はヘトヘトだったが、幼稚園に行って、
よそのお子さんとぜんぜん動きが違うから、
気を失いそうになるくらいビックリした。

みんなが座って工作を作っている間じゅう、
息子は彼らの手伝い?をして歩き、
みんなが完成したとき、自分のものは手付かずの状態。
みんなが園庭で整列していても、
ほかに興味を引くものがあれば、どこへでも行ってしまう。運動会でも。

私は、よそのお母さんから、こんなにも優しい?言葉をかけられる始末。
「あなたは、神様に選ばれたお母さんなのよ。
大ちゃんのような子は、あなたにしか育てられないから」
言ったその人は、勇気や希望を与えたつもりだと思うが、
私はますます落ち込んだ・・・。

大学病院の先生から言われた言葉のほうは、
喜んでいいのか、ウソみたいな話で、
「エジソンも小さいときそうだったんですよ。将来は大物だ!」って・・・。
その頃夫は、というと、
「ええやん。こっちも落ち着けへんけど、退屈せんし」とか、
決して否定をしない父親だった。

大学病院の先生は、もう一つ情報をくれていた。
「お母さん10歳まで待って。10歳になったらこの子は変るから」
何でわかるの?と思ったが、
10歳を待たずに、息子は変った。
小学校に入るといすに座れるようになり、
黙ったままで人の話が聞けるようになり、
友だちと双方向の遊びができるようになっていった。

何よりも、担任の先生がたに感謝している。
幼稚園の間じゅうと、小学校に入ったころの、
とんでもなく他のお子さんとは違うダイキに
幼稚園はとっても楽しいところで、小学校はすごく面白いところ
と思えるような関わり方を、毎日してくれた。
だから彼は、とんちんかんで、はちゃめちゃなりに、皆勤だった。

ちなみに、持ち物は、忘れ物をしないように私が準備していたが、
持って行ったものを、持って帰ってこない。
ランドセルだけは背負って帰ってきていたが、空っぽだったりする。
探しに行くと、帰り道にぽとぽと落ちていたことがあり、
道中、でんぐり返りしながら帰ってきた模様。
帽子や上靴を、よその軒下や電柱にぶら下げてもらっていることもあった。
金曜日は、給食袋を持って帰らなければならないが、
金曜日には水筒を忘れてくる。
「給食袋と、水筒は、にているから」だという。
いったいどこが??
たぶん、長いひもがついているということしか共通点はない。
が、しかし、彼はずっと、給食袋と水筒は
「にていて、ムズカシイ」と認識していた。

そんなダイキが4月から高校2年生。
希望する専攻欄に「教育学部」と書いてあるのを見て、ビックリした。
彼を育てたのは母親じゃなくて、先生だもんなー