「お母さんごめんなさい」までの、長かったこと。

2009/05/11

(姑とのやりとりのつづき)

「ひろこさん、あんた、それ、どういうことか、わかって言ってるの!」
「???どういうことって・・・  仏壇はあゆみに似合わないっていう・・・」
このやりとりから、私はどんどん追い込まれていき、
自分の言ったことは、亡くなった義父や、坂下家のご先祖様の存在にケチをつけ、
さらには姑の30年を越える苦労を否定することにもなってしまい、
そんなこと、わたし、ぜんぜん、言ってないし、思ってないし・・・
ということが通じなくなるドツボにはまる一部始終を、
夫はそばで目撃していた「にもかかわらず!」
一言も、「ひろこはそうは言ってないよ」
と言ってはくれなかった。

私は、家に帰り着くなり夫に噛み付きまくった。
「父さん!なんで言ってくれないのっ!どういうことっ!!」
夫は、何も言わない・・・ 
言えない・・・
ひたすら貝になる。

母親に決して口ごたえしない息子は、
嫁の肩をもってはくれない。
かくして夫婦の揉め事の原因は、
いつも姑だった。
姑はとても元気で、
私は、まいど弾き飛ばされ、泣いて終わる。クヤシイ〜ッ

特に、あゆみがいなくなってからは、
どんな姑の言葉も寄せつけなくなっていき、
分からないんだ・・・ 子ども亡くしたことのある人じゃないし。
そう割り切ろうにも、もう冷戦状態に突入していた。

姑の元気は、ずっと続くものと思っていたし、
続いていると私は思っていた。
ぜんぜん分かっていなかったのだ。

あゆみが亡くなって、何年たったときだろう。
姑は、長年自営業を営んでおり、ずっと高額納税者だった。
ところが赤字が続いているということを知る。ひどい赤字。
夫が、いつから?と尋ねると、ぽつりつぶやいた。

  ん?あゆみちゃんいなくなってからかなー
  なんかね
  頑張れなくなって・・・
  もういいかな、と思う。
  私も年やし。

この言葉を聞いたとき、私は涙が溢れ
「お母さん、ごめんなさい・・・」と思った。

姑のもつトゲの一つひとつが、
あゆみを失ってささくれ立っていったものなのなら
刺さってもいいよ、と
なぜかそのとき、すんなりと思えた。
痛みの共有というのは、
こういうかたちもあるように思えた。

姑の86年間の歴史は次回にまだつづく。