姑にとってのあゆみの死

2009/05/13

結婚してすぐに気づいたのは、
夫は、母親にはぜったいに口答えをしないということ。
しかも、何ごとにおいても「うんうん、そうそう」と
うなずきながら肯定するものだから、
笑ってしまうほどに、みごとだと思った。

夫は、9歳のとき、突然父親を失った。
人間ドックに入院したところ、肝硬変が見つかり、
翌日亡くなったという。
そんなこと、あり得ない。
姑も、病院に不信を抱きつつも、
幼い2人の子どもに食べさせることが先決で、
無我夢中で生活を前に進めたという。
夫が突然姿を消してしまった真相を、知るすべもなく、頑張り続けるなど、
いまの時代の妻では考えられない。
姑の30歳代から私の年代の苦労は、想像にあまりあると思った。
夫は頭が上がらなくても、仕方ないとも思った。

並々ならぬ苦労をしてわが夫を育てた義母。
であっても、前述のごとく私は、
あゆみがいなくなってから、徐々に姑に近付かなくなっていった。

そして、おかあさん、そこまであゆみちゃんのことで・・・
と涙がこぼれた、その日、
私は、それまで知らなかったさらに昔の姑の身の上話を聞いた。

姑は、母親を早くに亡くしたとは聞いていたが、
小学1年生のときだったことも知らなかった。
妹が1人ではなく、2人いたということも、知らなかった。
姑の母は、下の妹を産んだあと寝たきりになり、
間もなく亡くなった。

昼間は、まだ幼い姑が赤ん坊の世話をすることになった。
3歳の妹の子守をしながら、
お乳をもらいに行ったり、おむつを洗ったり。
貧しい時代、お乳は毎回はもらえない・・・。

学校へは、毎日おぶって行く。
おなかをすかせている子は機嫌も悪かっただろう。
おぶったまま授業を受ける。
でも辛くなかったという。可愛くてしかたなかったと。

このあと、さらなる試練が姑を苦しめた。
赤ちゃんだった妹、みよ子ちゃんが3歳になったとき、
親戚が、養女にほしいと言ってきたらしい。
とても可愛い顔立ちで、賢い子だった。
話は大人の間だけで進められ、みよ子ちゃんは貰われて行った。
姑は、激しく父親に抗議したが、
「あの子のためだから」という父親の言葉に、涙をのんだ。

毎日、みよ子ちゃんのことを思わない日はなかった。
でも、望まれて、両親揃った家で暮らすほうがいいと、自分に言い聞かせた。
みよ子ちゃんは、幸せに暮らしていると思っていたが、
そうではなかったらしい。
新しい家に馴染めず、さらに病気になり、
しばらくの後に、病気を理由に、返されて来た。
そして、元いた家族のもとで亡くなった。

姑は涙一つ見せず、淡々と語った。
「そんなことするなら、最初から欲しいなんて」
そこだけ語気がこめられた。
私は、しゃくり上げて、泣いた。

姑がつぶやいた「がんばれなくなった」は、
あゆみの死だけに起因するものではないのだろうと、思う。
初めての死ではない姑にとって、「なんで、また?」
という報われなさは大きいだろう。そして、
積年の苦労があゆみの成長によって救われていたことを考えると、
「この子だけは、失いたくない」
という思いも大きかっただろう。
あゆみの死は、親だけのものではないのだと思った。

私はいまもまだ、姑が涙を流しているところを見たことがない。
泣くのは、いっつも、私だけ。
かなし泣きも、くやし泣きも、うれし泣きも。
姑は、いつ泣くのかなあ。