たった一度の家族旅行、思い出の場所も消え
2009/06/09 昨日、深夜、再放送だったけれど、
倉敷チボリ公園の誕生から閉園までの番組があった。
この公園は、あゆみと同じ1997年に誕生し
今年2009年が明けると同時に、閉園した。
遊園地としては、11年という短い命だった。
あゆみが1年間の生涯のうちに、
1回だけ旅行をしたのが、倉敷だった。
チボリ公園がオープンしたとき、連日テレビで流れた
アンデルセンの銅像が出てくるコマーシャルのイメージが、
とってもステキで、私が行きたくて仕方なかったのだ。
母にはすごく反対された。
そんな小さな子を連れて、旅行なんて!と。
でも、夫を説き伏せ、決行した。
年寄りの言うことは、聞いたほうがいいことと、
聞かなくてもいいことが、あると思う。
逆らって、行ってよかった。
あれを逃したら、あゆみと旅行することは、なかったと思う。
家族旅行は車で行ったから、
チボリ公園が、倉敷のどこにあるのか、私は知らなかったが、
昨年、倉敷で講演の依頼があったため
倉敷駅に着き、改札を出たとき、
息が止まりそうなほど、びっくり仰天した。
倉敷駅の真ん前にあったのだ。
前泊だったので、その夜は、自由に動けたのに、
近寄れなかった・・・。
ライトアップされたテーマパークは、幻想的で、
ネオンを散りばめた観覧車が、ゆっくり、ゆっくり、回っている。
そこに踏み入れると、タイムスリップしそうに思えた。
時間が巻き戻るような錯覚に陥りそうで、こわかった。
思い切って行けば、あゆみの肌の感触さえも、蘇るのかもしれない。
でも、いっとき思い出に浸ることができたとして、
その場を後にするとき、
どこにもあゆみがいない現実に、戻っていかなければならない。
何年もかけて、やっと慣らした(馴らしたともいえる)自分を
振り回すことが、よくわかっていた。
夜だと、こわすぎる・・・
混乱したら、どこかに吸い込まれていくかもしれないような
言い知れぬ不安がたちこめた。
駅前で立ち尽くし、「とうさん、どうしよう・・・」と思ったが、
夫はここにおらず、一人で決断しなければならなかった。
明日まで考えよう。
明日、昼間に考えるほうが、きっといい。
そう思い至り、その夜はホテルに向かった。
結局、翌日、また駅前に立ったまま、
迷いに迷い、ついに行くことができなかった。
そうして、しばらく経って、
閉園してしまうことを知った。
それからでも、行こうと思えば、行けたのに、
夫も、「行こう」と言わないまま、とうとう閉園の日を迎えた。
よくご遺族が、思い出の地を訪ねて行かれるが、
自分は、ぜんぜんアカンタレやなー、と思う。
番組の最後で、11年間の入場者数が出て、
何百万人かの最後の数字が、2だった。
翌日、ダイキに、
「最後の桁の、2のうち、イチが、あゆみちゃんなんだと思うと、
いとおしかった。存在したことを感じた。」
と話したら、
「残念やけどお母さん、それはあゆみじゃない」と言う。
えっ、なんでよ!!と私が向きになると、
「あゆみは、タダやから」って。
「入口で人数を数えてたと思ったん?」って。
もおーーー!!