たまにたくさんするよりも、毎日少しが、いいと思う。

2009/08/21

こういう会にも守秘義務というのは、あるので、
かいつまんだお話ししかできないけれど、
最近、とても大事なことを感じたので、少し書きたいと思う。

前述の、脳死状態のお子さんとお母さんを訪ねて、帰る途中
その子の担当の看護師さんが私を追いかけてきた。そして、
「いつもありがとうございます」と、深々と頭を下げられた。
わざわざお礼を言いに来てくれたのだった。

まるでこの人が、あの子とお母さんの、身内の人のように思えた。
そして、うれしかった。
医療スタッフは、仕事でお世話をしている立場なのだけど、
「一言お礼を」と、言わずにおれないような心情が、
仕事だけで繋がる他人に、思えなかったのだ。

看護師さんは、「どうですかね・・・」と言われた。
私には、自分が感じていることと、医療スタッフが感じていることに
それほど違いがあるわけではないように思えたので、
「これはお知らせしておかなければ、と思うようなことがあったら
すぐに知らせるようにします」とお返事した。

このとき、看護師さんは、
「きっと、坂下さんになら何でも話せると思いますので、
大変だと思いますが、宜しくお願いします」
と言われた。
私は、ここで何の考えもなく
「あ、はい。でも、私、ぜんぜん大変ではないです」と言った。
そして、看護師さんの表情を見て、ハッとした。
いま言った言葉を、飲み込みたいと思った。

でも医療スタッフのほうは、コマッテいるの・・・
ということなのかもしれないし、
自分たちは、あなたのようにはいかない・・・
ということなのかもしれないし、
とにかく、明らかに私と別のところにいる人を感じるものだった。

それは、当然だ。
この人たちは、毎日、毎日、途切れることなく関わりをもつ立場。
それも、専門職として、高い技術を求められながら、
しかし関わりにおいては、やさしく、あたたかく、と。
しかも多人数を同時に担当しながら。
必要とあらば、注意も促さなければならないだろう。
やさしいことばかり言っておれないだろう。

そういう立場の人と、
外から自分の余裕のある時間帯にやってきて
ゆっくり座って話を聞き、
黙ったまま、じーっといるような
そんな都合のいい相手と、同じであるはずがない。

私は、たまにしか行けないから、
そのひと時をできるだけ大事にしたいし、そうすることができるが、
もっと大事なのは、日常だと思う。
話したり、聞いたりすることに、時間はかけられなくても、
身近で関わる人のほうが、ずっと大事な人々なのだということを、
外から行く人間は、認識していなければ、思い上がってしまうし、
それでは、患者さんやご家族にとっても、いいことはない。

もし、いま関係性がうまく行っていないとしたら、それは
毎日だから、見えすぎてしまう、ということで
どうあっても、心を砕きながら毎日関わるということが、
もっとも価値のあることだと思う。

別れ際、
「それでは、よろしくお願いします」
みたいな言葉が口から出そうになり、
それはちがう、と思った。
私は、この人たちほど家族のそばにいる人間ではない。
「声をかけていただき、ありがとうございました」
とだけ、お礼を言った。